鳥の歌(El Canto des Ocells)
カタルーニャ民謡
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竹田賢一(大正琴)、小山哲人(bass)、岩館洋(alto saxophone)、大熊亘(clarinet, bass clarinet)、千野秀一(piano, synthesizer)、中尾勘二(drums,trombone)
text ノート(八木 啓代)

 鳥の歌というと、かのチェリスト、パブロ・カザルスの名演とその逸話があまりに有名で、いまさら、あまりそれにつけ加えることもないかもしれない。
ご存じない方のために語ると、スペイン内戦後、フランコ圧制に抗して亡命したカザルスは、各国での公演活動の折り、かならずアンコールとして、フランコへの抗議の意を込めて、彼の生地カタルニアの民謡である『鳥の歌』を演奏したというものである。それは、天才と呼ばれた老演奏家にふさわしい、なかなかにドラマチックな物語であり、また、その旋律も、シンプルな中に不思議な美しさをたたえ、聴衆にふかい感銘を与え続けてきたのだという。

 しかし、なぜ、それが『鳥の歌』であったのか。

 パブロ・カザルスのチェロによる独奏によって有名になったとはいえ、この『鳥の歌』は、歌詞を持つ歌である。スペイン語とは違うカタルニア地方の言語であるカタルニア語で歌われるその歌は、甘くせつない響きを持つ。意味は、生まれたばかりの救世主イエスを鳥たちが称える、という、典型的なまでにカトリックの起源をもつ敬虔なクリスマス・ソングで、そこには、カザルスのドラマから人々が連想するようなひとかけらの社会的素地も、ましてや政治色も存在しない。

 しかし、歌の文句そのものに政治性は存在していなくても、この言葉自体は、長らく、きわめてデリケートに政治的な色を持っていた。なぜなら、フランコは、このカタルニアの言葉の使用を禁じていたからである。
 政権が、中央集権の権威を高め、支配階級の優越性を誇示するために、「中央」と違うマイノリティ文化や被征服文化を蔑み、禁じる例は、むろん例にいとまはない。広大なアメリカ大陸やアフリカ大陸で、いったいいくつの言語がすでに失われてしまっただろうか。また、ほとんど失われつつあるアイヌの言葉、琉球の言葉もまた同じ運命に見舞われている。ヨーロッパでも、この例外ではない。とりわけ、南仏からスペインにかけての地域には、特殊性をもって人類学的にも有名なバスク人−彼らの言葉であるバスク語も、むろん、フランコ時代には禁じられていた−をはじめ、多くの少数民族文化が残されている。

 カタルニア語で歌われるクリスマス・ソングの『鳥の歌』は、ヨーロッパのなかにも、まさしく、そういった文化が存在することの証であり、そして、カタルニア語ではなくチェロで演奏されたそれは、「ことばをもって歌うことのできない歌」の象徴なのだった。
 そのカザルスの名前が、一般には、カタルニアの発音である「パウ・カサルス」と表記されずに、標準スペイン語と英語の混合で「パブロ・カザルス」と表記されているのも、皮肉と言えば皮肉だが。

 カザルスが国外にいた頃、カタルニアでも、音楽による抵抗運動が起こっていた。言霊の力、とでもいうものだろうか。不思議に、歌というものが連動する社会ムーブメントは底力が強い。あるいは、底力のあるムーブメントだから、歌い手もまたそこから逃れられないというべきだろうか。
 この時代のカタルニアでも、ジョアン・マヌエル・セラート、リュイス・リャック、ライモンといったシンガーソングライターが輩出している。セラートは、日本でも、ポール・モーリアの編曲・演奏で大ヒットした『エーゲ海の真珠』という歌の作家だが(この歌は、イプセンの『人形の家』を思わせるような、自立しようとする女性を描いた曲である)、このほかにも、多くの佳曲を書き、全スペイン語圏で圧倒的な人気を得ている。

 これらのシンガーソングライターたちの作る歌の多くは、カタルニア語とスペイン語の2つのヴァージョンがあったという。スペイン語詞は公の場で歌うために、カタルニア語詞は公でない場で歌うために。いうまでもなく、それらの歌詞は、ただの翻訳ではなく、カタルニア語では微妙にニュアンスが違ったという。

 とにかく、こうやって、カタルニア語は、長期にわたる禁止にもかかわらず、死に絶えることはなかった。そして、やがてフランコが滅して政権も替わると、堂々と、ふたたびその姿を表にあらわし、1992年のバルセロナ・オリンピックでは、カタルニア語をオリンピックの公式言語のひとつとして用いるという、かつて、例を見ない決定にまで及んだ。そして、その開会式で、やはりバルセロナの生んだ名オペラ歌手ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスが、カタルニア語で歌ったのは、言うまでもなく『鳥の歌』であった。


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