Red Chrysanthemum Side
前進〜統一戦線の歌〜プリパ
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Hans Eisler / Bertolt Brecht
竹田賢一(flute)、小山哲人(bass)、石渡明廣(guitar)、久下恵生(drums)、篠田昌已(alto saxophone)、高橋鮎生(vocal)



 前進!忘れるんじゃない
 我らの力のありかを!
 飢えていても食えていても
 前進! 決して忘れるな
 連帯性を!

起て、世界の人民
ひとつになろう
世界を、豊かな大地を
獲得するために

 前進! ……

黒、白、褐色、黄色の民
殺戮をやめよう
人民自らが語り合えば
たちまちひとつだ

 前進! ……

目標に早く達するために
必要なのはきみやあなた
仲間を見捨てるのは
自分を見捨てること

 前進!決して忘れるな
 飢えていても食えていても
 はっきり問い質せ
 明日は誰のものだ?
 世界はだれのものだ?

 昨年発売されたコンピレーション・アルバム『帰らぬ兵士の夢』にはエルンスト・プッシュの歌でこの曲が収録されている。

b; 統一戦線の歌
Hans Eisler / Bertolt Brecht
竹田賢一(flute)、小山哲人(bass)、石渡明廣(guitar)、久下恵生(drums)、篠田昌已、時岡秀雄、オニオン釜ケ崎(alto & tenor saxophone)

 チャーリー・ヘイドンのリベレーション・ミュージック・オーケストラ、フランソワ・テュスクのインターナショナル・フリー・ダンス・オーケストラ、ペーター・ブレッツマン等の演奏でおなじみのこのマーチも、ブレヒト/アイスラーのコンビによるもの。1934年暮れ、モスクワにあった国際音楽ビューローのエルヴィン・ピスカートア(ドイツの政治劇演出家)の委嘱によって第1回国際労働者音楽オリンピックのためにつくられた。以後、亡命地でのドイツ人を中心に反ファシスト・ソングとして広く歌われたが、ドイツ国内に知られるようになったのは第二次大戦後のこと。


人間は人間だから
食わずにゃ生きられぬ
ありがてえコトバじゃ
はらはふくれぬ。

 左、二、三!
 左、二、三!
 左へ向かえ!
 連帯をあかせ、労働者
 きみの場を思え。

人間は人間だから
踏みつけにはされぬ。
ボスることもなく
ボスられもせぬ。
 左、二、三!

(野村修訳)

 この曲は、典型的なドイツ・マーチのスタイルで書かれているといわれる。それゆえ、もし歌詞を変えれば、たとえば“右へ、二、三!”ということになれば、そのままナチスの行進曲にだって使える、だから音楽それ自体に政治的意味はないのだ。こういう論法の例証によく引き出されるのがこの曲だ。たしかに音楽は言語ほど器用に意味を伝えない。だが、言語だって言葉それ自体が意味を持っているわけではない。アという音節とイという音節が結びついても、それだけでは“愛”という意味を持っているとはいえない。日本語を話せない人にとっては、なんら意味を持たないか、全く別の意味の語として聞こえるだろう。ぼくたちがこの音を聞いて、男女や家族間の特別な感情の動きをイメージするのは、日本語の使用の歴史の中で、そのような意味づけをされてきたからだ。音楽の意味作用についても、おそらく同様なことがいえるだろう。ある音楽がある意味を担うためには、その音楽を誰が、どのような意図を持って、どのような状況の中で演奏し、聞くのか、という音楽の使用様態が問題になってくる。
 次の曲が持つ歴史も示唆に富んでいる。


c; プリパ
trad.
竹田賢一(大正琴)、小山哲人(bass)、石渡明廣(guitar)、久下恵生(drums)、千野秀一(Moog liberation synthesizer)、篠田昌已、時岡秀雄、オニオン釜ケ崎(alto & tenor saxophone)

 「愛国歌(ウェグッカ)」とともに、独裁体制打倒、民主化を求めて闘う韓国民衆の間で歌い継がれてきた曲、もちろん80年の光州蜂起を伝えるニュース・ヴィデオの中でも何度となくこのメロディが聞かれた。

われらはプリパ(根っこ派=ラディカルズ)だ
チョッタチョア

 共に死に共に生き チョッタチョア
 ヒザを折って生きるよりは
 立ったままで死のうじゃないか
 われらはプリパだ われらはプリパだ

全斗煥は退陣せよ!チョッタチョア
 共に死に……
全斗煥は退陣せよ!全斗煥は退陣せよ!

政治犯を釈放せよ! チョッタチョア
 共に死に……
政治犯を釈放せよ! 政治犯を釈放せよ!

(以下、初めと終わりの部分にそのときどきのスローガンをつぎつぎと歌い込んでいく)

 この歌は日本でも、金大中の死刑阻止の闘いが盛り上がって以来、デモの中で広く歌われるようになったが、このメロディーにどこかで聞き覚えがあると感じた人も多かったはずだ。南北戦争当時につくられた有名なアメリカ民謡「ジョニーが凱旋するとき<When Johnny Comes Marching Home>」の元歌、「ジョニー、もうあなたでないみたい<Johnny, I hardly Knew You>の旋律なのだ。この歌はアイルランドの反戦歌で、1802年イギリスがセイロンを征服したときのものだ。英国政府はアイルランド人を多数徴兵したが、セイロンから帰還した船からは傷病兵の長い列が降りてくる。その中に、足も手も、目も失った夫の姿を探す妻を歌ったのが、この曲だ。
 この元歌から考えると、またマイナーの曲調からすれば万歳を唱えられて凱旋してくれるジョニーのホームは天国のことのようだ。また、歌詞を変えてこの歌は、南北戦争の両軍に歌われ、さらに「空飛ぶ騎手<Riders In The Sky>というカントリー&ウェスタンのヒット曲となった後、原曲のメロディーに戻って韓国の民主化運動の中で歌われていることに、感慨を覚えずにいられない。さて、朝鮮民主主義共和国ではどんな歌詞で、どんな思いを込めて歌われるだろうか。


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