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ぬかるみの兵士たち
Nazi's Concentration Camp Song | Johann Esser / Wolfgang Langhoff / Rudi Goguel
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竹田賢一(vocal, 大正琴)、小山哲人(bass)、石渡明廣(guitar)、久下恵生(drums)、工藤冬里(piano, organ)、John Duncan (whispering)

 ハンス・アイスラーに、「私は、この歌こそ国際労働者階級の運動の中で最も美しい革命歌だと思う」といわしめた「ディー・モールゾルダーテン」は、1933年8月、北ドイツのパーペンブルク強制収容所の中で生まれた。このナチスの収容所の周囲は、ベルガーモールという泥炭の沼地が広がっている。共産主義者、社会主義者、無党派の労働者5000人からなる囚人たちは、2時間歩かされて現場へ行く。排水溝を掘る労働を強いられていたのだ。もちろん、衣類、食事、労働条件などは言語を絶する状態でだ。

 この強制労働所の往き帰りの行進中、囚人たちは“志気を高め、精神力を養う”ために、愛国歌や軍歌を歌わされていた。しかし、労働者たちはそれらの既成の歌に満足せずに、一見SSやSAたちの意に沿うように見せながら実は自らの解放への希望を歌い込んだこの曲を創ったのだ。鉱山労働者のヨーハン・エッサー[Johann Essar] が詞を書き、俳優のヴォルフガング・ラングホッフ [ Wolfgang Langhoff] が補作し、セールスマンだったルディ・ゴーグエル [Rudi Goguel] が男性四部合唱にアレンジした。初演は“ツィルクス・コンツェントラツアーニ”と呼ばれた収容所内文化行事で、元ゾーリンゲンの16人の労働者合唱クラブ員によってなされた。

 この歌がつくられると、収容所間の囚人の移送にともなって、短時日のうちに広範に伝えられ、国外にまで達するとすぐに、モスクワ放送の電波に乗せられた。以後、ドイツ国内での反ファシズム抵抗運動を自ら証すものとして欧米中に歌いつがれていく。

 だが一方では、この歌をきっかけに、多くの収容所で収容所歌をつくることが収容所管理者から強制されるようになった。これらの歌の持った意味は何なのか? そしてぼくたちにあてがわれる歌の意味は?



視線をどちらへ向けようと
まわりはただの沼地と荒野のみ
楢の木が冷たく曲がりくねって立つ中
鳥の声すら我らを力づけはしない
 我らはぬかるみの兵士
 沼の中でスコップを引きずる

人も住まぬこの荒れた地に
収容所は建てられた
どんな喜びからも遠く隔てられ
我らは鉄条網の背後に並ぶ
 我らは……

ここそこには歩哨が立ち
決して抜け出る道はない
砦は四重に囲われ
脱走は死を招くにすぎないだろう
 我らは……

しかし我らは泣き事はいわない
冬だって永遠に続くわけじゃない
いつか我らも喜びの声を挙げる
故郷よ、再び帰ってきたぞ、と
 そしてぬかるみの兵士たちは
 二度と沼の中でスコップを手にしない



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